アメリカ人アンブローズ・ビアスが1911年に書いた辞典に、「悪魔の辞典」があります。

「悪魔の辞典」と表されていますが、これは悪魔について書かれているものではありません。

この辞典は、日本では、芥川龍之介の魅力的な紹介によって広く知られました。

今でもネットで検索してもらえれば出てくると思います。

ビアズは、この辞典で様々な単語の再定義を行っています。

その定義が痛烈な皮肉やブラックユーモアに満ち溢れ、風刺があってとても面白い。

たとえば「建築家」は・・・・・・・・・・

あなたの家の設計図をかくと同時に、あなたのお金を引き出す設計図をかく技術者。

となっている。

お金を引き出すことに技術があるとすれば、逆に、私たちにとっては、とてもありがたい。

設計図を描くことと、その対価である入金に関して、どちらも技術があれば、お金持ちになれるという事だ。

設計料は高額商品だ。

そして現代では、新車の車の代金とさほど変わりがない。

しかしこの2つには、大きな違いがある。

建築家が、お金を引き出すための一番の壁は、設計監理というものは、目に見えない事だ。

物質至上主義では、目に見えないことにお金など払いたくないという人と多いだろう。

これはコンサルやコーチなどの職業と似ている。

なので、こちらからクライアントに営業でもかけようものなら、逆に信用を失いかねない。

やはりお金を引き出す技術が必要なようだ。

ならばこれをどうやってクライアントに理解し、納得してもらうか?

これが出来るかできないかで、事務所が儲かるか、儲からないかが分かれる。

将来的には、安定経営できるかできないかの大きな違いを生む。

もちろん図面を描く技術は、当たり前に必要なのだが。

ビアズは、そのどちらも必要だと言っているのだろう。

たぶんそのお金を引き出す設計図をかく技術とは、建築家の「マーケティング」の事だろう。

私たち設計者は、常にマンパワーの仕事を強いられている。

多分人生の大半を設計監理業務に費やしてゆく。

そこでその対価を手にできなければ、続けてゆくことさえできない。

あなたが設計した設計図を誇り思い、そして堂々とその対価をいただこう。

そのための「マーケティング技術」も設計図を描く技術と同時に必要としていることを肝に銘じよう。

私たちは設計に関する技術が向上すれば、人生が全てうまくいくと錯覚してしまう程、「設計技術至上主義」にとらわれている。

間違った思考の一つに、クライアントに設計の技術を売り込めばうまくゆくというのがある。

しかし技術を売り込めば売り込むほど設計料は取れない。

設計という当たり前な技術ではクライアントは納得しない世の中になっている。

免振工法なり、外断熱、OMソーラーなども、クライアントにとってみたら、技術のオプションでしかない。

オプション費用が上乗せされるだけである。

我々建築士は、このような営業的付加技術で仕事を取る工務店などに追随していってはいけない。

我々はクライアントの感情を刺激して勝ち取るしかないのだ。

ならばその感情を刺激するものとは何か?

今は、個々のクライアントから得た、様々な答えだということしかここでは言えない。