私が今まで勤めた事務所は、魚津社寺工務店(事務所)と三共建築事務所の2つです。

そして現在、魚津社寺工務店は、規模を徐々に大きくしながら存続中で、

片や三共建築設計事務所は規模を縮小してしまって、所長1人で継続しています。

この事実は何を意味するのか、私なりにお応えする前に、それぞれの事務所の社会的な役割をお話ししたい。

 

魚津社寺工務店は、神社仏閣、お城などの設計とその施工をしています。

官民・下請け取り混ぜて受注しています。

三共建築設計事務所は、私がいる頃は、約10人の中規模事務所で、フジパン工場、電波学園グループ、マクドナルド、ウオッチマン、マンション、住宅など多くのクライアントを持っていました。

100%民間企業からの受注です。

大手事務所の下請け受注はありませんでした。

その当時の五十嵐所長は、官には頼らないと言う、100%民間からの受注を自慢していました。

 

建築事務所が存続するためには、社会の要請が無ければ成り立ちません。

社会的要請とは、つまり建築物の設計監理です。

そして社会的な要請が終われば、一応その事務所の存続意義は無くなるということです。

かつてはいろんな場所で、一斉に工場や、飲食店、店舗、マンション、住宅などが建っていたということです。

それに応えるべく、建築士が頑張っていたということでしょう。

 

空間を創り、そこへ人を集め、何か商品やサービスを行う事で、人が喜び、満足を得ていたのだろうと思われます。

需要と供給で言えば、箱の供給が追い付かない時代があったということです。

しかしそれらの商品やサービスがほぼ行き渡り、新しい喜びや満足が生み出せていない世の中にシフトしてきているように思います。

人が求めているものが、物質的なものから、精神的なモノ、心の平安などに大きくシフトしているように思うのです。

 

建築物そのものは、空間を作り、限りなく物質的なのだけれども、一方では、芸術的であったり、象徴的であったり、権威的であったりもします。

和辻哲郎の[風土]を持ち出すまでもないのですが、砂漠の民が、さまよいながら見るキューブリックな箱に、人間的な心の安心を与えることが出来ます。

魚津社寺工務店が繁栄を続けられる理由には、この心に根差した何かが含まれているのかもしれません。

時代が効率的、生産的、物質的なものを求めていた時代から、心の平安、精神性を求めている時代に入ったのかもしれません。

神社、お寺は、心の平安を求めるところそのものでもあります。

 

最近やっと耐震診断の波が終わろうとしています。

これも地震などの心配を無くしたいという、心の叫びから広がったのではないかと思うのです。

30年前に耐震診断は世に出てきたのです。

 

あなたも建築事務所の主宰者として、社会に必要とされる役割を感じながら繁栄をし続けて行ってください