この扇子は、2020年9月に「和田金」で食事をした時に頂いたものです。

それは満月がとても美しい夜の事でした。

 

和田金は、皆さんもご存知だと思いますが、話の前に少しご紹介いたしましょう。

和田金は、三重県松坂市内にあります。

松坂牛を食べることのできる名店中の名店です。

このお店は、松田金兵衛が1878年・明治11年に開業しています。

松坂市内には、松坂牛のお店は多いのですが、伝統と格式、風情、肉質、味どれをとっても1番です。

 

なぜ私がこんなお店で食事が出来るのか?

私などは一生涯、縁がないと言ってもよいかもしれません。

しかし縁がなかったと言えばうそになります。

それは、私が三重大学の建築学科の学生だった頃にさかのぼります。

 

 

その当時、まだまだ学生の下宿先が不足していました。

そのようなこともあって、20部屋ぐらいのアパートの7部屋が建築学科の生徒でした。

木造2階建ての安アパートなので、調理場、トイレ、風呂は共同です。

そこで生涯の友と言ってもよい、7人が集まっていました。

 

下宿先では、基本、毎日、自炊です。

私などは、毎日が豚バラ肉の野菜炒めでした。

 

日々料理をするということが面倒なのと、共同調理場が込み合うということから、仲の良い学生が当番制で食事を作るようなこともしていました。

そんな日々の中で、誰からともなく言いだしました。

 

・・・おなか一杯、肉が食べたいナー。

三重県にいるんだから、一度は松坂牛を食べてみたい。

皆で焼肉をしよう!

誰か朝日屋(松坂牛で有名な精肉店)で松坂牛を買ってこないか?

・・・俺は500グラムいける。俺なら1キロはいける。

少なくとも全員で3キロは欲しいなー。

ちょっと朝日屋までいくらぐらいか見て来い!

 

などと皆が、おなか一杯松坂牛を食べている、夢を見ています。

 

しかーし、松坂牛は、貧乏学生に甘くはなく、結局、松坂牛のホルモン3キロを手に入れて帰ってきたのです。

その当時は、松坂牛のホルモンも売っていたのです。

 

そして誰の部屋で焼肉をするかで“もめる”ことになります。

焼肉3キロを焼くとなれば、その人の部屋は焼肉臭と油で、臭くなってしまいます。

皆そう感じています。

 

・・・お前の部屋には物が少ないのでお前の部屋でやろう!

物が少ないのはきれいに片付けているからだ!

お前の部屋こそどうせ汚いからできるだろう!

 

延々と話し合いがまとまりません。

 

ここでもだれからともなく天の声が下りてきます。

 

風呂場で焼いて食べようか?

風呂場なら、あとで水で洗える!

部屋より広いし!

換気扇回せば酸欠にならないだろう!

 

と話し合いがまとまりました。

この3キロもある焼肉宴会は、夜の11時ごろまでも続き、この話を知らない他の住人は、お風呂にも入れない、入っても臭いという人騒がせなものでした。

 

この焼肉宴会を通じて、皆が松坂牛はうまい!と認識を持ったのです。

ホルモンでさえそう思ったのです。

このホルモン焼肉を契機に、皆が、いつかは和田金で松坂牛を食べたいという思いが芽生えていったのだと思います。

 

その後、建築学科の学生の中から、割の良いバイト話が入ってきました。

三重大学ですから、水産学部もあります。

多分、このバイト情報の出所は、水産学部からではないかと思います。

 

このバイトは水産工場内で、コンテナ船で届いた冷凍のカニやイカを下処理して、スーパーなどに陳列できるまでにパックする仕事です。

例えば、冷凍しているカニの足を、胴体から包丁の背でたたき落とし、殻の一部をそぎ切りにして食べやすくし、それらを基準のグラムで何本かまとめて白いトレーにラップしパックする仕事です。

イカは、1㎥ぐらいに凍った塊を大きな水槽で解凍して1枚1枚が分離し柔らかくなったところで拾い上げて何枚かにパックする仕事です。

これら鍋用のカニやイカのパック作業は、忘年会シーズンの季節作業です。

 

当時、40年前でも1日1万円のバイト代になっていました。

この割の良いバイトは、すぐに建築学科の学生のうわさになり、皆がこぞって勉強そっちのけで働くようになっていきました。

当時の技官(公務員なので違法行為と思う、30年以上前の話なので時効ということで・・・)もバイトしていました。

1日中、重い出刃包丁を何度も振り下ろすので、手首が腱鞘炎になる人まで現れました。

 

割のいいこのバイトですが、これには一つだけ難点があります。

何日も水産工場で働くと、生臭さが体にしみついてしまうのです。

服を洗っても、体を洗っても、やはり匂うのです。

 

そんな日々の中で、ホルモン焼肉友達2人が、バイト5日分、計5万円を手に握りしめ、和田金へ行くことになります。いざ「和田金」です。

予約もせず、お金があれば食べられると、勇んで行ったのです。

 

しかーし、店の前で、お断りされてしまうのです。

 

彼らは、バイトに着ていたジャンパーに、生臭さを漂わせていたと言っていましたから。

名店は、他のお客様の迷惑になるような人は、お断りするのでしょう。

 

彼らも、お金さえあれば、食べることが出来るという、考えが間違っていたのではないかと思うのです。

名店に行くにしても、経済力以外に社会的な信用や人脈などが出来て、初めて自ら行けると思うし、店からもよばれると思うのです。

名店が、一見さんをすべて断るわけではないけれども、お得意様を大切にし、その紹介者を大切にしてゆきます。

そんな意味からも、名店は、人を成長させてくれるものなのです。

 

今回私が、和田金でお食事が出来たのは、とある有名な社長さんに呼んでいただけたからなのです。

 

私も学生時代の焼肉宴会時から約40年の月日が経ち、少しは成長できたのかな?とも感じていました。

 

和田金では、炭火での焼肉具合、すき焼での焼き具合、味付けなどを仲居さんが手際よく、プロとして調理してくれます。

 

そんな仲居さん2人に対して、社長様は、本当にスマートに「心付け」をしていました。

 

私はこれを見た瞬間、私はこんなにスマートに「心付け」出来るのか?と自分自身に問うてしまいました。

心の声が、私に届きます。お前はまだまだだな。

 

炭火焼きを囲んで、社長様は、この建物5階には、皇室専用部屋があると言っていました。

そしてまだその部屋では、食事はしたことが無いとも言っておられました。

 

上には上があり、切りがありません。

 

私はほんとまだまだだなと言う思いと、食後の満足感から、えも言われぬありがたさで満たされた1日でした。

 

また、ほんのすこし成長させていただきました。

 

ごちそうさまでした。