かなり長文です。お許しください。

1961年、名古屋市生まれ

大学院卒業後、工務店及び建築設計事務所勤務を経て、独立。

有限会社 K.A.O(経営王)主宰し今日に至る。

学生時代は、安藤忠雄にあこがれ、建築家ってかっこいいな!と言う思いだけで建築士をめざしました。

就職先も地元の老舗工務店(㈱魚津社寺工務店)に3年勤め、その後、有名な組織事務所((合)三共建築設計事務所)に3年勤務したのち、平成元年に1級建築士を取りました。

とにかくそれまで技術や知識を磨いてきたという自負があり(今から思えばわずかなものですが・・・)、1級建築士の取得と同時に独立するんだ、というプランさえ持っていました。

その当時は技術力やデザイン力さえあればいくらでも仕事は来るはず、と本気で考えていました。

さらに子供のような間違った情熱で、独立すれば、自分の設計したい建築が実現できる、社会も変えられるぐらいの自信もありました。

そして勇んで独立。

30歳でした。

しかし待っても待っても、仕事は来ません。

たまに事務所の電話が鳴っても、コピー機や、電話回線の売り込みの電話です。これでは生活ができません。食べていかれません。

当時は子供が2人いて、1人は生まれたばかりでしたので、真剣に悩みました。

何かいい手はないか、何かないか?と考えている最中、友達がJCに入っていて、なんか羽振りがよさそうな話をしていました。

そうだわたしもJCに入会しよう!と短絡的な判断。

そして、そこで仕事を獲ろう!

しかし入会したものの簡単なリフォームの仕事や、工務店の下請け仕事しか来ません。

私は工務店の下請け業務はやらないと決めていましたのでリフォーム中心です。

あるリフォーム物件を受けることになりました。平屋の増築物件です。

その竣工引き渡しの時に私も含め家族と共に記念写真を撮ることになりました。

その時、奥様が感激のあまり泣いているのです。

建築士として当たり前の仕事をして、これだけ感激してくれる。

何と良い仕事だろうかとこちらが感動してしまいました。

その後相談件数は増えていったものの、なかなかリフォーム工事も受注できません。

なぜだろう?

今まで営業などしたことがないので、よくわからないのです。

後々になって分かったことは、JCなど人間関係が濃くなりすぎると、逆に仕事に結び付きにくいのです。

いろいろな悩みを聞いてわかるところは全てお伝えして終わってしまいます。

相談者は、すっきりとして帰ってゆきます。

JCという組織が特殊なのだと思い、懲りずに門戸を広げNPOや団体に顔を出すようになります。

弁護士と建築士の団体である、欠陥住宅被害東海ネットや、生協の住宅事業部です。

欠陥住宅被害東海ネットですが、住宅を建てた建築主が、どうも我が家には欠陥があるかも?ということで調査依頼がきます。

1件5万円(今はいくらになっているかわからないので、依頼する場合は直接欠陥住宅被害ネットまでお願いします)で、私が自宅まで調査に伺う仕事です。欠陥があってもなくても人件費としていただけます。ただし交通費込みです。これでは中々収入は上がっていきません。

ある日、欠陥住宅被害東海ネットからいただいたリフォームで、年末までに工事を完了し、年明けには新しくなった新居にしたいという物件でした。

年末の施工終了間際にトラブルになりました。

竣工引き渡し間際になって、建築主が敷居の傷がひどくなっているというのです。

取り替えてほしいというのです。

この敷居は、今回のリフォーム範囲以外の部屋なので、工事には含まれていません。

しかしオーナーは、この傷は、工事業者が付けたものだといい張るのです。

工事範囲外だったので、工事前の写真がなく、傷が増えたかどうかが分かりません。

工事業者は、養生していたので、傷はついていないはずと言っています。

私もブルーシート養生は見ています。

結構な傷がたくさんついている敷居で、傷もすべて古いもののようには見えるのですが…。

一応、工事は終了していたため、竣工チェックをし、鍵を引き渡しました。

工事業者との帰り際、非常に嫌な気持ちが残ります。

クライアントは人が変わったようにわざと言っているとしか思えないのです。

これには工事業者も同意見です。

工事の終わりに近い頃、工程打ち合わせで、あそこが悪い、ここが悪いと言い始め、対応に追われ、やり直しに追われ、なんかおかしいと徐々に感じ始めてはいたのですが…。

とりあえず工事は終わったので、あとは私の設計料50%と、工務店へ支払われる1/3の工事代金の入金を待つだけとなりました。

年末内に請求書を出しましたが、年末には入金がありません。年明け後電話をしましたが出ません。それでご自宅まで訪ねても、留守のようです。

何度訪ねても居留守で出てこないのです。工事には防犯カメラを6台付けましたので、外部が手に取るようにわかるのです。

ご近所の方に聞くと家には居るようなのです。

だから私たちが家に訪ねて行っても、すぐにわかるのです。

工事業者も請求書を送ったのですが、入金がないとの事。

設計料も2月末、3月末になっても入金はもちろん、連絡もありません。

工事業者が内容証明郵便を送ったところで、5月になって、訴訟手続きになりました。

事の顛末は別に記しておきますので、参考にしてください。

ここで私に大きな気づきがありました。クライアントの選別と見抜き方 

です。

ここまで来て初めて建築士事務所の経営の難しさと悩み、大変さに気が付くのです。

その当時の悩みをまとめると

  • とにかく売り上げが安定しない。お金のフローが続かない。
  • 集客の仕方が分からない。
  • クライアントとの関係構築まで時間がかかるし、仕事につながらないことも多い。
  • いいお客さんか悪いお客さんの見極めが出来ない。
  • そもそもお客さんがどこにいるかわからない。
  • 何をどうやって売ればいのかもわからない。

30代前半ですが、そんな時、営業で外回りしている最中、先輩建築士から、1つの仕事を紹介されます。

そこでのクライアントとの出会いが、私の事務所を安定経営へと変えてくれたのです。それだけではありません。設計の手法も大きく変えてその理解を深めてもくれました。また建築士としての仕事そのものの範囲を、大きく変えてもくれました。

建築士というより、建築プロデューサーと言った方がいいのかもしれません。

そのような立場を確立でき、今まで悩んでいたことが嘘のようにうまく回りだしてゆくのです。

第1話はここで終わります。